尾道市議会議員 岡野長寿
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自己紹介
岡野 長寿

おかの ながとし

  • 1958年(S33)1月5日生まれ、現在53歳。

  • 田熊幼稚園、田熊小学校・中学校、因島高校を経て、明治大学法学部卒業。

  • 因島市議会議員3期
    (97~06年)

  • 尾道市議会議員3期
    (06年2月6日から)

  • 日本共産党の議員として活動中。

  • 「憲法を暮らしに生かす」が信条。

  • 趣味は野球、ゴルフ

  • 生活相談所を開設。岡野パンから徒歩3分
住所:尾道市因島田熊町229-1
電話:0845-22-2596
携帯:090-2095-5792

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合併して何が起こったか(現地からの報告)
自治体問題研究所が主催した「合併フォーラム11・8」での現地報告です。
報告を読みやすく加筆しました。 尾道市会議員 岡野長寿

はじめに
 私は合併前の因島市で市議を3期務めた後、尾道市議になり現在2期目です。今日は合併して何が起こったかということを私の体験を通して御報告したいと思います。私の家業はパン屋(岡野製パン所)ですが、因島大橋の橋代が高くて、因島工場でつくったパンを本土まで配達して売っていたのでは商売になりません。そこで思い切って平成元年に福山に新工場をつくったのです。家業の宣伝はそのくらいにして本題に入ります。合併して何が起こったか‥

1.高額な橋代問題 因島から尾道まで普通車で片道900円、瀬戸田から尾道までは1,300円、行ったら帰りがありますから、経費はその2倍となります。
 島同士(瀬戸田町・因島市)で合併しようとの話もあったのですが、なかなかまとまりませんでした。そうこうしているうち、「もう時間がない」と尾道市との合併がまとまったのです。私は「駆け込み乗車は大変危険だ」「もっとじっくりと時間をかけて」と言ってきました。「橋代が無料にでもならない限り本土との合併は避けるべきだ」と考えてきたからです。

 当時因島市の議員は20人でしたが、合併に反対したのは私1人でした。思ったとおり、合併により高額な橋代問題が顕在化しました。旧自治体にはそれぞれ支所があり、住民はたいていのことはそこですむのですが、PTAの役員、老人クラブの役員などは、そうはいかず、尾道での会議となり、月に2~3回は尾道に行かなければなりません。

 住民からは「ボランティア活動に行くのにも橋代がかかるとは」と嘆きの声が聞こえてきます。各種団体で役員の橋代経費を組むようにはなったものの、広域化した町の中で橋代負担がのしかかってきます。「新尾道市の一体化のためには橋代への独自補助制度をつくれ」の声が大きくなり、市も検討を始めています。

2.駆け込みの弊害
  
 因島市の合併は、編入合併ですので、それも駆け込んだことで、すべてが尾道の基準にそろわせて考えることになります。学校編成計画でも、その基準が尾道市基準になっていますので、突然出てきた小学校の統合計画に住民はビックリ!旧因島市の南の地域では造船業が盛んで、土生町、三庄町、田熊町とけっこう大きな町があり、それぞれに小中学校がありました。

 だんだん生徒が減ってくるということで、中学校は統合しよう(因南中学校建設)という話は数年かけて合意ができていました。それが、尾道市になったとたん、教育長から小学校も含めての統合案(因南学園構想)に話が変わったのです。それも「半年間で結論を出してくれ」というのです。「わが町から小学校をなくすな」の反対運動が起こり、町は真っ二つに割れてしまいました。ドタバタ騒ぎをしましたが、現在は従来どおりの中学校のみの統合ということで落ち着いたところです。

3.ハローワーク因島の廃止
 
 ハローワークが因島田熊町にありましたが、この4月から廃止になりました。「ハローワークは1市1箇所で十分」ということだろうと思います。しかし、島はそうは行かないのです。因島は造船が盛んですから、愛媛県側の上島町からも就職の相談に来る、失業給付を受け取りにも来ていたのです。それが廃止により「これからは本土の尾道(栗原)のハローワークまで来なさい」ということになったのです。尾道まで行けば橋代もかかる、一日仕事です。失業して一番大変なときにこんな仕打ちを受けるとはと‥騒動になりました。

4.駆け込み編入合併の矛盾「駆け込み乗車は大変危険」
 
 小さなことかもしれませんが、公民館のやり方も違ったのです。
因島では公民館は各町に一つあり、公民館は市役所の行政機能を代替する役割も果たしていました。したがって尾道とは利用実績も違う(尾道の3倍の利用者)、高く評価されていたのです。
 ところが、尾道では中央公民館方式、おおきな中央公民館は1館あるが、あとの周辺部の公民館は貸し館業務が中心、因島とは位置づけが異なっていたのです。それが、一挙に尾道方式でものごとを考えるということになり、旧市町で行っていた税金の申告手続などができなくなったのです。
 特に、因島は真ん中に大きな山があり、因南、因北に分かれています。町ごとに立派な公民館があるのです。それが‥大浜公民館、重井公民館あるいは三庄公民館で申告をしていた高齢者の人たちが、「もう公民館で申告はできない、全部支所まで来い」ということになりました。これは後々の活動で改善はできたのですが、当初は強行され、因島の場合は13か所で申告手続ができていたのが、一挙に5か所にされたのです。

 また、旧自治体にあった子育て支援策が、ばさばさと削られました。例えば旧因島市にはチャイルドシート貸出制度が、御調町には購入助成制度がありましたが、尾道に合わせてなくなったのです。放課後児童クラブも、因島・向島・瀬戸田では、若者のための子育て支援ということで、無料でやってきましたが、尾道は有料なので、平成22年から有料になります。

 自治体独自の奨学金制度も、旧市町にはありますが、これが今後どうなるのか心配です。

 また、土生公民館のカギを隣接する因島消防署が預かってくれていました。すぐ隣ですから住民は便利がよかったのです。それが「これからは預かれない」となり、住民は300メートルも離れた民家まで取りに行かなくてはならなくなったのです。

 理由を聞くと、因島の消防署、そこは今まで管理センターの機能がありました。いまはすべて尾道で指令するということになり、管理部門がなくなって出先扱いになっています。それで、「消防署は鍵を預からない」「管理部門がないので火事の時みんなが出払ったときに入ってもらっては、管理ができない」などいろんな理由があってできなくなったのです。

5. 因島の合併をふり返って
 挙げればきりがないのですが、言いたいのは、「編入合併とは、すべて統一だ」という頭があるものですから、住民の都合そっちのけで、最初からすべてを横並びにしてしまったのです。
 本当はそこまでやらなくても良かったのです。色んな問題点が、合併後の議会の中で取り上げられて、多くのことが改善の方向に向かいつつはあるのですが‥

6.瀬戸田では
 瀬戸田では県立病院の尾道市への移管問題が出てきました。今までは離島ということで、広島県全体の中で、県立病院として配置されてきました。
 しかし、尾道市になって橋があるだろうということで、離島指定の解消がされました。橋を通って、尾道農協病院や尾道市民病院へ行くことができるだろうというのです。しかし、高額な橋代はどうなるのでしょう。全部住民負担、今はそうなっています。
 経営が難しいことは分かるのですが、合併ということがなければ、「尾道で受けろ」ということもなかったと思います。

7.向島では
 向島では、社会福祉施設センター廃止問題が出てきたのです。地元に愛され、単に貸し館業務ではなく、いろいろな団体がここを拠点にして活動をしていました。ですから、行政が福祉サービスをやらなくても、自主的な活動が行われてきていたのです。
 
 それが尾道から見れば「立派すぎる、ぜいたくだ」ということなのでしょうか。尾道の基準に合わせてもらう、理事者から「辞めろ」と言われたのです。これはさすがにおかしいということになり、廃止計画は撤回させることができました。
 
 それから島ですからヘドロがたまり、バキュームで除去する仕事があります。町では地域の業者に請け負ってもらってやっていましたが、尾道から見れば「税金のむだ遣い、自分たちでやれ」となりました。しかし、何百メートルもコンクリートのフタをしている水路を高齢者に手作業で掃除しろというのは無理な話です。こんなことまで議会で取上げ改善させなければならなかったのです。
 このように、合併したことによるデメリットは、数え上げればればきりがないほど出てきました。

まとめ
 
 今回旧因島市などを中心に報告しましたが、編入合併のため、合併先の市の形式的な基準への統一化のために、実情に合わないことが山のように出てきました。

 各市町の議員は、合併後の1年、2年は仕事が山ほど出ました。当時の各支所の職員もこれからの課題を考えると、「自分たちでは何も考えられない」という節がありました。
 それまでは議会で自分達で決められていた。しかし、それが決められない、町づくりの魂がすぽっと抜けてしまって、「核」がなくなった状態になったのではないでしょうか。

 編入合併とはいえ、職員同士の中で、とりわけ支所長を中心に声を上げれば良かったのですけれども、そういう力が弱かった。今もまだそういう状況があるだろうと思います。
 災害時の対応にそのことがよく現れています。最近ゲリラ豪雨もあり、いざ災害という時土嚢(どのう)を積む作業があります。特に島しょ部では、市長を中心に市役所に集まって、危険なところはどこか分かっていますからすぐ対応しました。しかし、合併によりそういう機能が著しく弱まっていると思います。

 行政的には合併で一つの町になったのですが、これまでの合併と違って規模が大きい形で行われました。
 これからの町のあり方としては、住民としてはいつまで経っても、生活圏域は旧自治体で、世代が変わってもそのやり方は変わらないと思います。
 ですから、これからの発展方向としては、「各支所に、かなりの裁量を持たせた町づくりができるようにすること」だろうと思います。合併後の新市長も現地(旧市町)によく入るようになり、そういうことを感じているようです。

 今まで、それぞれが「島内完結型町づくり」をやってきたわけですから、それを壊さずそれを生かす活動が市の活性化のためには必要ではないかと私は思っています。
 今回の報告は、「駆け足の編入合併によって、どんな事態が起こったか」の情報提供だととらえてください。 ありがとうございました。

  
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by okanonagatoshi | 2008-11-25 16:04 | ● 議会報告